社員インタビュー

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田中元

「作りたいものを作るのではなく、お客さまにとって価値あるものを作る人でありたい」

田中 元

クリエイティブ本部
デジタル事業部
UXデザインユニット責任者

野球一筋だった少年を熱狂させたのはプログラミングだった。

ー幼少期はどんな子供でしたか?

3歳から高校3年生までの間、ずっと野球漬けでした。僕は「自分はこれができる!」と胸を張って言えるような、自分が納得できるレベルまで物事をやり込み、到達することに楽しさを感じるんです。好きなことにはとことんやり込む性格ですし、その点、野球はやればやるほど面白くて。

ー自分が納得できるレベル。それを達成するために、意識していることはありますか?

野球には、ずっと思考しながら取り組んでいましたね。父に言われた言葉があるんです。「全てのアドバイスを聞き入れる必要はない」。アドバイスをもらっても良いけど、やるかやらないかは、自分で選択する自由がある、と。自分自身、言われたことをやってうまくいくタイプではないし、納得できなかったらやらない主義なんです。だからこそ、JBAで働く今も、用意された仕事をするのではなく自分で考える癖がついているのかなと思います。

ーなるほど。なぜ大学で野球を続けなかったのですか?

高校までに野球はやりきったので!大学では何か新しいことに挑戦しようと思っていた時に、必修授業でプログラミングに出会いました。ゲーム感覚で楽しめるのが面白くて熱中しましたね。実は、最初から周囲に比べて出来が良かったんです(笑)もしかしたら得意なのかも?とワクワクしたのを覚えています。
本格的に熱中したのは、コロナ禍でうまく活動できなかった部活を辞めて、暇になった1年生の9月頃。誰でも見られるWebサイトで勉強したので、完全独学ですね(笑)朝起きてPCを開いてプログラミングをやって、ご飯に行って、またプログラミングして……気づいたら翌朝の6時?!なんてこともありました。

ープログラミングに熱中していた中で、インターンに興味を持ったきっかけはなんだったんですか?

『インターンシップ』という映画がきっかけですね。会社をクビになったサラリーマン2人が、Googleのインターンシップに参加し、優秀な学生たちと過ごす話なんです。ちょうど、また何か新しいことを始めようと画策していたところだったので、「すげぇ、こんなものがあるのか」と。それから長期インターン募集サイトに自分の情報を片っ端から登録しました。プログラミングが好きでしたし、これを武器として磨ける実践の場を探していたんです。それで、1年生の2月に、別の会社でインターンを始めました。

ー他社でもインターンをされていたんですね!それからどういう流れでJBAに?

このインターンでの僕の仕事は営業でした。プログラミング教室をお客さまにおすすめする仕事です。といっても「ノルマ必達!」「何としてでも売れ!」というわけではなく(笑)「そのお客さんの人生にプログラミングが必要だと心から思えたらご紹介しよう」というスタンスだったので、一人ひとりのお客さまと深く関わることができました。それがたくさんの学びを得られましたし、すごく楽しかったんです。でも、1年間頑張ってみて、他の職種も経験したいという思いや、エンジニアとして働きたいという思いを捨てきれませんでした。そんな時に、登録していたWantedlyでJBAからのスカウトを受けたんです。

ー入社を決意した決め手は?

自由に働けるJBAの環境に魅力を感じたことです。裁量権が大きくて、自分がやりたいことはなんでもできると思った。エンジニアとしての仕事もやりたいし、コンサルにも興味があった僕にはうってつけでした。でも実は、入社を決定づけた一番の動機は、僕の勘違いだったんです。 JBAのこと、最初はベンチャー系の企業だと思っていたんですよ!なにせ、あまりにも制度が整っていなくて……すみません(笑)でも、制度が整っていなければいないほど自由に動けるなと更にワクワクが膨らみました。

田中元

“ただの”エンジニアが「誰かのために。」
初めての奮闘劇。

ーそんな熱意を持ってJBAに入社した田中さんですが、すぐに壁にぶつかったとか。

そうなんです。入社後急に、ある案件に指名されました。ホームページのリニューアルをご提案する仕事でした。これがコンペ案件で……。コンペでは、複数社が同時に企画やアイデアを提案し、1番良かった会社しか発注していただけないので、すごく念入りに戦略を練るんです。
そのコンペの数日前に、僕ともう1人の社員さんが、急にポンっと肩を叩かれたわけです(笑)
「今週末にコンペなので!」って、大きな声では言えないけど、何も進んでいないんですよ!(笑)あまりにも急すぎて、自分の役割も価値も、何もわからない状態でした。正直、めちゃめちゃ戸惑ったんです。僕は、サイトリニューアルに携わるのも、コンペに参加するのも初めてだったのに。

ーそれは…大変ですね。そんな状況で、どうして引き受けたんですか?

他にできる人がいなかったからですね(笑)まさに草むらをかき分けるような状況で、とても苦しかった。でも、他の人には任せられない、自分がやるしかないとなったら、そこからは必死でした。あるのは、「競合と差をつけるためには、ただサイトをデザインするだけではダメだ。お客さまは会社なんだから、売上を上げるサイトにしないと!」という社長のアドバイスだけ。そこからヒントを得て、ひたすらお客さま企業の世界観や課題を研究し、売上向上に繋がるサイトづくりを提案したんです。

ー「売上向上に繋がるサイトづくり」……ですか。

お客さまからはリニューアル後のサイトデザインを求められていたんですが、僕たちはデザインを出さず、売上向上を実現するサイトの戦略設計のみで挑みました。今思えば、奇想天外な手法ですよね(笑)でも、それがそのお客さまにとってベストだと心から思えたから。
必要な分析や企画立案、最後のプレゼンまで、全行程を社員さんと2人でやり切りました。

ーそれで、結果は……?

ありがたいことに、ご発注いただくことができました!ただただ必死だったので、決まったと聞いたときはびっくりしましたね。お客さまはデザインの提案を求めていたけど、僕たちはお客さまの潜在的な課題にまで踏み込んで、もっと上流の設計から一緒にお仕事をさせていただく道を選んだ。その選択が、よりお客さまに喜んでいただける結果につながったことが、嬉しくて。同時に、運が良かったな、とも思いました(笑)
そしてこの経験が、僕にとってのパラダイムシフトになったんです。

ーパラダイムシフト、ですか。

ただサイトを作るだけではなく、企画や設計といった上流からお客さまに寄り添わないと意味がない、ということに気付きました。「大切なのは技術だけではない」と頭ではわかっていたつもりだったんです。しかし、この経験を通して初めて、その実感を自分の中に落とし込めた気がします。決められた内容をただ作るよりも、「設計」する、解がないところに解を出す。その楽しさと、その価値の大きさを知ったんです。

田中元
田中元

新たな価値の創出が、日本を動かす。

ー1つのパラダイムシフトを経て大きく成長した今だから描ける、田中さんの未来はどんなものでしょうか。

「新しい当たり前を作る」ことが、僕の人生の最終ゴールです。僕はよく「アスファルト」の話をするんですけど……。どういうことかと言うと、みんなアスファルトを作った人が誰だか知らないけど、アスファルトがないと困る。自分が作ったものが、時が流れて作った本人が忘れ去られても、皆の当たり前であり続ける。僕はそんなものを作りたいんです。今までにお世話になった人がたくさんいるので、WebをはじめとしたIT分野で、新しい当たり前になる価値を生み出して、その人たちに恩返しをしたいという思いがあります。それが達成できたら、僕はもういつ死んでもいいです(笑)

ーコンサルタントとデザイナーのハイブリッド...ー熱いですね!そんな夢を描く田中さんが、JBAで今やりたいこととは?

お客さまにとって本当に必要なものを生み出せるWebチームをつくることです。プログラミングの技術はもちろん大切です。しかし、それ以上に大切なのは、お客さま目線で常に考えること。他人のためにどこまでもこだわり、常にベストを提案し続けられるエンジニアを集めたいんです。そんな「喋れるエンジニア集団」をつくりたい。JBAというこの場所で、価値を生み出すことに全力になれるエンジニア集団を作ること。これが、今の僕の目標です。

田中元