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写真を好きになったきっかけは何だったのでしょうか?

僕が写真の世界にのめり込むきっかけとなったのは、大学時代にパリで見た、黄金に輝くセーヌ川の美しさでした。あの瞬間の鳥肌が立つほどの感動は、未だに忘れられません。そして、その情景を伝えるために写真を撮りたいと思うようになったのです。日本に帰ってから独学で写真を始め、綺麗だと感じた身の回りの風景をとにかくたくさん撮りました。当時はフィルムの時代で、写真が現像されるまでに1週間かかったんです。その間のワクワク感もたまらなくて。私は京都外国語大学で合気道部員でしたが、写真部の誰よりも写真を好きになり、撮り続けた自信があります。

ところでなぜフランスに行っていたかというと、J'étudiais le français(私はフランス語を勉強していたのです)。時代は就職氷河期。フランス語を活かして就職したいと思えるほど燃えてもいなかったので、それならば本当に好きな写真を仕事にしようと考えました。そうして、なんとか京都の広告写真スタジオで荷物持ちのアシスタントバイトとして雇ってもらうことに。石の上にも3年というので、ここに3年間置いてくださいとお願いしました(笑)。当時23歳だった僕は、若いながらに「30歳を超えてからが勝負だ!」と思ったんです。今から写真の専門学校に行けば現場を経験するのが2年遅れて、30歳を超えたときに周りとの腕前の差が圧倒的に出てしまう。だからこそ、20代の頃の時間とお金は専門学校に行くために使うのではなく、とにかく現場での勉強に当てたい、それに、やる気だけは年数を積んだカメラマンにも勝るものを持っていたい、と考えました。

27歳までの期間で、基本的な機材の使い方から、広告のために様々な対象を撮る技術までを習得することができました。広告写真で扱ったのは、人間のモデル以外にも、商品や建築、宝石、料理など本当にいろんな種類のもの。モデルを撮る時は綺麗な写真が撮れると現場が盛り上がるのが楽しく、商品などを撮る時は物と静かに向き合うのが楽しく、建築を撮る時はそれが一番美しくなる季節や時間帯を考えてその一瞬を捉えるのが楽しかったんです。当時から何を撮っても楽しかったので、未だに被写体の得意不得意もありません。

その後、フリーランスに転向したと伺いました。当時の仕事について教えてください。

僕は26歳で結婚したのですが、それから1年も経たないうちにフリーランスに転向しました。今から考えたらよくやったなと思いますが、当時はやりたいようにやっていただけだったので、覚悟も勇気も何も…って感じでした(笑)。それまでお世話になっていた広告写真の会社の仕事は一つも引き継がず、自分一人で仕事をとってくるぞと意気込んでいたのですが、それが思っていた以上に大変で。仕事を獲得できたとしても、お客様に言われるがままの金額で撮影するのではなく、自分から金額を提示してそれに見合うだけの仕事ができるように努力したい、というこだわりもありました。そして、その金額は、自分の年齢が一歳増えるごとにどんどん上げていくんです。それで断られたら自分はフォトグラファーとしてその程度の価値ということだし、逆にそれでもリピートしてくださるお客様がいればそれは自分の腕が上がっている証拠だなと。ありがたいことに、年齢を重ねて経験を積むごとに、高い金額を提示してもリピートしてくださるお客様が増えていきました。

その後、30歳で先輩と一緒に会社を作ります。先輩方のおかげでお客様の幅が広がったので、全国各地を飛び回る忙しい毎日になりました。撮影には10時間ほどかかり、オフィスに帰ってからもデータの整理、アシスタント指導、情報共有、翌日の準備などに数時間かかっていたので毎日3時間睡眠でしたが、とにかく写真を撮ることが好きだったので眠いどころじゃありませんでしたね(笑)。

若い頃からご自身の"写真哲学"をお持ちなのですね。

この時僕が大切にしていたのは、撮る写真の絶対数を増やすことでした。写真は、綺麗だなと思っているだけでは撮れません。綺麗だなと感じた景色に向けてカメラを構えてシャッターを切るというアクションが必要です。しかも、何度も。写真の枚数を増やさないと「良い写真」は撮れないんですよ。「良い写真」の定義は、例えば被写体が人であれば、その人をよく観察して表情から気持ちを読み取り、その一瞬の機微を切り取った写真だと僕は思っています。だから、僕は若い頃からのくせで、周りを観察するためにいつもキョロキョロしちゃう(笑)。こうして写真を撮る習慣を身に付けて、他の誰よりも『良い写真』をたくさん撮ろうとしてきたんです。

枚数を撮るだけでなく、写真の構図の分析も大量に行ってきました。見本となる写真をノートにスクラップして、どうしてそれが美しく見えるのか、どのようにしたらそれを再現できるのかを、先輩に聞いて細かくメモして。でも一回しか教えてもらえないのでそれからは自分で何度も分析して再構築までしてみて…というのを、写真一枚あたり5時間はかけて行いました。努力とかというよりは、そうして新しいことを吸収できるたびに「へぇー、おもろいやん」って感動しながらやっていましたね(笑)。その大量の記録は分厚いノート何冊分にも上り、今の僕の基礎になっています。

現在掲げていらっしゃる「世界最高の一枚を、2秒で実現する」のスローガンについても詳しくお聞きしたいです。

JBAに入ったのは35歳の時でした。メンバーのスケジュール調整から育成、採用まで一人でこなすスケジュールに限界を感じ始めた頃に、JBAの求人を知ったのです。フリーランスでは大手企業を相手に仕事をするのは難しく、大きなプロジェクトに携われる機会もなかなかありませんでした。一方、JBAでは大手企業と直接仕事をすることが可能で、しかもデザイナーやライターなど各分野のプロが集まっている中、チームプレイで価値提供ができる。そのようなJBAならではの環境に惹かれました。また、JBAでは大手企業をまるごと撮影することが可能です。日本を動かしている大手企業の最先端というのは現場だと、僕は考えています。道路を作っている現場、がんの薬を研究している現場、世界最高のおもてなしを提供しているサービスの現場…などその種類は様々。その企業の未来を決めるトップメッセージの収録現場にも立ち会うことができるので、まさに大手企業の撮影にまるごと携われる仕事と言えます。撮影の場面はどれも、「もっと知りたい」「もっと聞きたい」と思わせてくるような、知的好奇心を刺激してくるものばかり。そんな仕事に囲まれて「もっと撮りたい」と思える毎日です。

そんなJBAでの撮影の相手は、撮影されるのが初めてという素人さんが多くなります。そこで僕は「世界最高の一枚を2秒で」というスローガンを掲げました。僕の経験上、2秒というのは、人間がストレスなく我慢できて、かつ写真を撮るために必要な最短の時間なんです。「ちょっと待ってくださいね」「もう少し枚数を撮らせてくださいね」と待たされるのは、プロのモデルでない人にとっては大きなストレス。だから、撮影の前には必ず、その目的をインプットして、当日の流れやポージング、撮影場所のセッティングの仕方はもちろん、どうやって笑顔を引き出すかまでを細かくイメトレして、それを現場ですぐに実行できるようにしています。スピーディーに、かつ綺麗に撮ってもらえたら、誰でも嬉しくなるものですよ。

これまでの撮影の中でも、特に思い入れのある事例を教えてください。

大企業の社長撮影を通じて、お客様と信頼関係を築くことができたときはとても嬉しかったですね。社長の写真というのは会社の顔となりますし、社長の信念や意志、人柄を表し、ともに掲載されるトップメッセージの説得力も強めるので、インナーブランディングのためにも非常に重要です。そこで、撮影の際の社長の身なりは清潔感があるということはもちろん、伝えたい雰囲気に合った服装、コーポレートカラーを意識した服装などであることが求められます。そうした理想の一方で、実際は、撮影されることに慣れておらずどのような準備をすべきかわからないという社長も多いんです。

そこで僕たちはチームJBAとして、社長撮影にまつわる全てを準備するということを行いました。ワイシャツやネクタイの手配は、お客様と関わりのある百貨店の外商さんを呼んでもらってお願いし、ヘアメイクさんはJBA側で手配。そうして色々なパターンをその場で試した結果、その社長のエネルギッシュさと凛々しさが一番際立つような服とネクタイ、髪型で撮影に臨むことができたのです。また、新社長就任直後の撮影の場合には、似合いそうなネクタイを撮影のために購入して持参し、撮影後にサプライズでプレゼントしたことも。

これらのエピソードの背景にはあるのは、お客様の世界観を理解し、より良い写真を撮ってお客様を喜ばせたいというチームJBAとしてのホスピタリティです。その純粋な気持ちがお客様に伝わって、信頼関係が構築されていきます。その結果、僕の仕事ぶりと名前を覚えてくださって、多数いるフォトグラファーの中でもわざわざ指名してもらえるようになります。それが嬉しくて、僕はお客様に対する感謝の気持ちでいっぱいになるんです。感謝の気持ちを込めて、社長退任の際にベストショットを立派な額に入れてプレゼントしたこともあります。こんなにお客様のことを想って仕事をできるのは幸せだなと感じます。

写真スタジオ、フリーランスを経験されたからこそわかる、JBAの魅力を教えてください。

JBAでは、若手の教育にとても力を入れています。僕の座右の銘は「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」ですが、それと同じで、自分がやってもらいたいことを人にもやってあげたいんです。若かりしフランス語学科卒の僕は、写真を学ぶための環境が整っていないがゆえに、自力で這い上がるしかなかった。そんな中でアシスタントバイトとして拾ってもらえたのが本当に救いだったんです。だからこそ、過去の自分と同じように写真に対する熱を持っている子がいれば、その芽を育てるための環境を与えてあげたいと思っています。

また、JBAではこれまでに海外取材も経験させてもらいました。訪れた国は、韓国、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、タイなど。インフラが整っていなくて取材中に機材の電源が落ちたり、一日に何カ国も移動したりするようなハードな取材もありましたが、僕にとっては新しい世界を撮れる喜びの方がその大変さの何倍も大きくて。なかなか人気が出ない海外赴任の魅力を伝える企画では、海外でビジョンを達成するために必死な日本人社員の力強さに圧倒されて思わずシャッターを切り、途上国での学校設立支援を紹介する企画では、現地を訪れた日本人社員の驚きや、そこからの感情の変化を写真に収めずにはいられませんでした。そんな学びと感動にあふれた海外取材を経験できたのも、JBAで働いていたからこそです。

JBAは一言で表現すると、サバンナみたいな場所なんです。ここでは、「こうすれば大丈夫」という正解のレースは存在せず、自分のやりたいようにレールを敷くことができます。フリーランス時代と違うのは、自分のやりたいことに挑戦できる環境がすでに用意されているということです。僕はここで、これからも新しい挑戦を続けていきます。未だに撮影を通じて勉強することは尽きないですし、心にグッときた写真に関してはそのスクラップと分析、再構築の作業を続けています。自分の価値を常に更新していくことで、世の中にいる幾万ものフォトグラファーの中から自分を選んでもらいたいと思っています。目標は、「JBAの中西」から「中西のいるJBA」にすることですね!

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