もともとは小説家志望だったと聞きました。そこからJBAに入社した経緯を教えてください。

大学卒業後は、地元の石川県で公務員として働いていました。一方で、小説家になりたいという夢もあって。当初は二足の草鞋を履くぞ、なんて意気込んでましたが、いざ働いてみるとお役所仕事といえど中途半端なことはできません。根が不器用なこともあり、なかなか小説家の夢が進まず焦りが募り、次第に書くことを本業にして専念したいと思うようになりました。そんなとき「コピーライター」という職業を知ったんですね。この職業なら小説家になるという目標も見据えながら、書くスキルを磨けるぞと飛びつきました。

すぐに公務員を辞めて東京へ向かい、コピーライター養成講座を受講。その後、広告代理店で雑誌や求人広告の制作に携わる中で、デザインも含めて一人でゼロから広告を作り上げるためのスキルを鍛え上げてもらいました。それから金沢に戻り、広告代理店とCM制作会社で3年ずつ働きました。転機が訪れたのは、広告に関わり始めてから10年目の2014年のこと。当時の私は広告づくりを続けながら地元の金沢の企業を支えられたらと思い、独立を考え始めていました。かねてから「金沢には良い企業や老舗の名店がたくさんあるのに、うまくブランディングできていないのがもったいない」と感じていたのです。そこで、お客様企業の懐に深く潜り込んで、参謀的なポジションでブランディングを手伝う、というビジネススタイルに挑戦してみようと考えていました。そんな中、知人の紹介で知ったのがJBAです。よくよく話を聞いてみると、JBAでは自分が独立して形にしようとしていたビジネスモデルをすでに実践し、しかも個人では到底到達できない大きなスケールで事業展開しているということがわかって。ここなら!と思い、JBAへの入社を決めました。

具体的にどのようなお仕事をしているのですか?

大手企業のブランディングや広報、広告・PRの企画制作に携わっています。おかげさまで、広告賞を何度もいただいたり、新聞社が開催する文化セミナーで講師として呼んでいただいたりもしました。

私がコピーライティングの仕事をする上でいつも意識しているのは、「誰も広告なんて見たくない」という事実です。好きなテレビ番組の途中でCMが流れたら「またCMか、スキップしたい」って思いますよね。それは仕方がないこと。コピーライターとしてやるべきなのは、そういう生活者の広告に対するネガティブな感情を前提としつつ、それでもメッセージを伝えるために、その広告を「見たくなる理由」をつくることです。それゆえコピーライターの仕事は、キャッチコピーを考えることだけではありません。コピーが際立つよう、企画を考えたり、デザインや編集の方針を考案したりもします。そのため自然と、クリエイティブディレクターのような立ち位置で仕事をするようになりました。

これまで多くの案件に携わってきたと思うのですが、その中でも印象に残ったものについて、教えてください。

2017年から約2年間にわたってお手伝いさせていただいた、堺化学工業(以下、堺化学)様の100周年記念プロジェクトですね。堺化学様は酸化亜鉛や酸化チタンといった無機素材を製造する化学メーカーで、JBAとは社内報を10年以上お手伝いさせていただいているお付き合いです。その社内報制作を通じたお客様の事業理解の深さを認めていただき、100周年記念として制作する「製品史」の企画コンペにお声がけいただいたのがきっかけです。

お話を伺ったところ、その冊子は単に記念碑的な意味合いだけでなく、社員同士の相互理解を深めたり、自社の事業に誇りをもつインナーブランディングの役割も担っているということでした。堺化学様が展開する主な6つの製品群(=事業)は、それぞれ独立した事業に見えるものの、実はルーツをたどればすべての事業が地続きでつながっている。それを社員が知ることで、互いに親近感が湧き、部署間の垣根を超えたコミュニケーションが活発になり、全社の一体感を生み出す。その橋渡しをする大切なツールだったんです。 とはいえ、そんな重要なことが書かれている冊子といえども、実際に社員の方が手に取って読まなければ、何の価値もありません。だから私がご提案したのは「マンガの製品史」でした。その名も「堺ノベーション物語」。堺化学様が創業以来、生み出してきたイノベーションの物語です。さらに「見たくなる理由」を足すために、ストーリーの中に100年前の創業者が現代にタイムスリップするという演出を加えました。結果、企画コンペではありがたいことに満場一致で当社を選んでいただけました。

堺化学様のプロジェクトメンバーの皆様と半年間かけて制作した冊子は、社内で大好評となり、多くの反響の声をいただきました。なかでも私がうれしかったのは、ある社員さんのご家庭でのお話。その方の息子さんは中学生で思春期ということもあってか、最近親子の会話がほとんどない状態だったそうです。それがある日、偶然家に置いてあったこの冊子を息子さんが読んだらしく、思いがけなく父親である社員さんに話しかけてきたそうです。聞けば、息子さんは堺化学様の事業に興味をもったそうで「自分も将来この分野の勉強をしてみたい」と。その社員さんはびっくりして、感激したそうです。 実はこの冊子のもうひとつのテーマに、ご家族にも読んでもらって社員さんの仕事を理解していただく、というものがありました。それが想像以上の形で現実化したことに感動するとともに、自分たちがつくるクリエイティブの可能性を改めて実感しました。

堺化学様の100周年プロジェクトではその後も記念式典動画や記念Webサイトなど様々な企画をお手伝いさせていただき、たくさんの反響をいただきました。そこでも一貫して自分が心がけたのは「見たくなる理由」をつくること。堺化学様は100年間、長きにわたって事業を成長させてきた優良企業です。そこにある歴史やエピソードは魅力的なものばかり。それをどうやって見てもらうか、伝わる工夫をするか、それを追求するのが私のミッションだと思っていました。その考えをご理解いただき、私がご提案する一見突飛に見えるアイデアにGOを出してくださった堺化学様には今でも感謝しています。

土用下さんの広告論、もっとお聞きしたいです。JBAで広告を作ることの意味も含めて、お話しください。

「誰も広告なんて見たくない」背景には、ほかにもっと見たいものがある現代人の心の忙しさがあるのだと思います。スマホを見たい、テレビを見たい、映画を見たい、本を読みたい…それら全てのメディアに対する気持ちを一瞬でも上回るような広告でないと、見てもらえません。広告制作においては、ライバルは競合他社ではなく、その広告のターゲットである人々が見ている全てのコンテンツなのです。だから私は、「どんなニュースよりも驚きを、どんなお笑い番組よりも笑いを、どんな映画よりも感動を、どんなブログよりも共感を与えられるような、そしてどんな本よりも知的好奇心をくすぐるような広告」をつくりたいと思っています。それを実現できる場、さらには企業の課題解決のお手伝いまでできる場というのが、多様なクリエイターが集う、ここJBAなのです。

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