「コンサルティングxクリエイティブ」で大企業の課題解決に挑戦する日本ビジネスアート株式会社(JBA)では、学生インターンが、企画立案・編集・ライター・フォトグラファーなど様々な職種で活動しています。そんな、個性豊かで才能に溢れる学生たちに迫るのがこの企画。今回は「医学生とライター、2つの人生を満喫しています」というKさんにインタビューしていきます!

【プロフィール】
富山県出身。2020年現在、京都大学医学部医学科4回生。国内外の様々な場所を訪れてフィールドワークをしながら、さまざまな角度で医療を捉えようと活動する。将来の夢は、より社会とつながった新しいタイプの医者になること。

―医学部生がコンサルティング関連の会社で働いているって珍しいと思うのですが、その経緯を教えていただけますか?

中学生くらいの頃将来の夢が「国連職員」で、進学もずっと文系で考えていました。ところが、友達とオープンキャンパスで見に行った京大にものすごく惹かれて。学部ごとのブースで医学部の先輩のお話を聞いて、京大医学部に惚れこんじゃったんです。「ここで勉強して、保健関連で世界に貢献したい」と強く思いましたね。

私のもともとの動機は医学をやりたい!というより人間自体への興味だったので、医学部に入学はしましたが、将来に関しては「病院で働く医師」以外の選択肢も考えていて。どうにかして広い視野を持って医療に携わろうと、入学当初から躍起になっていました。医学一筋はいやだったんです。だから、一通り医学部生としてやりたいことを追求して、その後もっと他の経験もしてみたい!と思った時に出会ったのがJBAでした。

―やりたいことの追求という部分を聞かせていただきたいです!

1回生の夏には、国際医療を学ぶためベトナムに医療支援に行きました。京都の医療団体の活動に同行させていただく形だったんですけど、当時はまだバイトもしてなかったので、カンパ用の封筒を携えて病院に行き、自分で書いた企画書を見せて先生方にプレゼンして、ベトナム行きの費用を募りました(笑)。実際に行ってみると、日本と見た目も近く、風土も似ている東南アジアですが、その間には格差があるということを身に染みて感じました。この時の経験で、途上国の医療に興味を持つようになりました。

そのあと1回生の後期には、東南アジアや世界の保健に携わりたいという思いから、京大の東南アジア地域研究研究所というところでアルバイトをしてフィールド研究のデータ整理をさせてもらったり、東京で行われた国際医療フォーラムに参加・登壇したりしました。そのフォーラムは各国の政府高官や保健機関の専門家が集まり、日本からも首相が参加して国際的な医療協力推進を目指す会で、私はスピーカーとなって、日本の医療を世界のモデルとして発信する役割を務めました。

医学研究は、例えばiPS細胞のような分子レベルの研究で人を助けるものもありますが、私はフィールドに出て統計をとったり現地の人と一緒に活動したりするマクロな疫学研究の方がしたくて、その方向に向かって頑張っていましたね。

―行動力に溢れてますね、すごいです。2回生になって何か変化はありましたか?

2回生の春と夏には、医学生の学生団体の先輩方と計画してタイへ行きました。薬剤耐性菌(抗生物質の使いすぎによって抗生物質が効かなくなった菌)についての研究が目的で、タイは抗生物質の乱用が激しいことで知られているため、その実情を調査しに行ったんです。道行くタイの方々に抗生物質に関する意識調査を行い、薬局でも処方の現状調査をしました。

目的を持って計画した研究はやり遂げたのですが、ここで少し気持ちに変化がありました。「研究だけじゃどうにもならないな」と思ってしまったんです。私がこれまで触れてきたのはあまりにもマクロな世界で、それをもとに一学生として実際に何かを作ったり、今ある仕組みを変えたりはできないと感じました。

ここで私の「医学部ハネムーン」は終わりました。自分の将来の医師像を思い描くのが楽しかった時期が終わりを告げたんです。これは決して「医学部倦怠期」ではなくて、少し冷静になったというか。それまで大切にしていた「医学部生アイデンティティ」から離れて、「もしも医学部生じゃなかったらどうだったんだろう」と考えるようになったんですね。社会に目を向けるいいタイミングだったんだと思います。

―社会に目を向ける、とは具体的にどんなことですか?

ここでやっとJBAのお話です、お待たせしました(笑)。大学生協のアルバイト募集の掲示で見つけたのですが、「ライター」という文字を見てよさそう!と思いました。もともと文章を書くのが好きだったので、応募してみたんです。

最初の頃は、自分では決して仕事ができている感覚はなかったのですが、JBAの先輩方がものすごくいい人たちで。指導熱心でしたし、お仕事をこなすと「すごいね!」「さすが!」とよく褒めてくれるっていう(笑)。当時の主な仕事は企業調査で、ライターとしての業務はたまに医療関連の執筆を依頼されるくらいでしたが、オフィスに行って働くのが楽しかったですね。

―印象に残っている案件はありますか?

ライターのお仕事がどのようにして増えていったかは、一緒に学生ライターとして働いている岡本さんとの対談でお話しさせてもらうとして、本格的な執筆案件にはだいたい3回生の5月くらいから携わるようになりました。そのライター初期の頃に担当させてもらった、ある大手製薬会社さまの社内報執筆が印象深いです。社内報とは、多くの企業さまで作られている従業員のための社内情報誌のようなもので、その中の社内のレジェンド的人物を取り上げる記事を執筆したときのことです。

JBAでのライターのお仕事は、資料を元に執筆することもありますが、基本的には企業の方のインタビューを聞いて記事を書いていくものが中心となります。この企画もそうでした。その頃はまだライターとしてのお仕事に慣れていたわけでもなく、難しい専門用語が多用されるようなお話だったので、社員さんも力試しのような感じで依頼して下さったんです。でも、分からないながらも手を抜きたくはありませんでした。医学部生としてのその時の知識でギリギリ対応できるくらいの難易度だったので、教科書を引っ張り出してきて、時間をかけて丁寧に書き上げましたね。

達成感もあった一方で、どんな辛口コメントが返ってくるんだろう…と不安な気持ちもありました。しかし、なんとその原稿が、お客さまへの提出用として社内で選んでもらえたんです。もちろん、社員ライターさんが手を加えてブラッシュアップはして下さっていたので、その手助けがあってこその成果ではありましたが、「本気で書いたらちゃんと成果が返ってくるんだ!」と思いました。すごく嬉しかったです。

―ライターとして働くなかで学んだことはありますか?

学生ライターには、初期の教育制度のみならず、プロのライターさんからレクチャーをしていただける機会が設けられたりもします。あるとき、これはまた違う社員ライターさんのお言葉なのですが、「ライターの仕事はインタビュイーの人生を疑似体験すること」とおっしゃっていました。「インタビュイーにどれだけ共感できるかが大事」という心得を教えていただき、感銘を受けたことを覚えています。

私も、ライターをしながらそのインタビューの主人公一人ひとりに共感して執筆にあたっています。社会にはこんな人たちがいるんだ、と自分事としてリアルに感じられて楽しいです。

―JBAに入ってよかったなと思った瞬間はありますか?

JBAのお客さまは日本を代表する大企業ばかりで、ここでのお仕事はわかりやすく社会に繋がっていると思います。先ほど、社会に目を向けるきっかけを求めていたというお話をしましたが、JBAでのお仕事はその点でまさに私にピッタリでした。「文章を書く」という自分の好きなことを活かして誰かの役に立っているのも嬉しいです。

JBAに入るきっかけとなった「ハネムーン終了」は、決して医学部生であることを辞めたいという気持ちではありません。入社後の3回生の夏には、タイの保健省の研究室で実験させてもらえることになって、タイに3度目の訪問もしてきました。環境中の微生物の研究をしたかったので、川にざぶざぶ入っていって水を採ってきたり、ドブから現地の生活排水みたいなものを採取してきたり(笑)。これまでよりさらにミクロな視点に立って、自分のやりたい研究を続けています。

JBAのインターンでは、ビジネスの知識を培ったり、働く姿勢を会得したり、多くの学生にとって将来に直結させられる学びがあると思うのですが、私の場合はちょっと違うと思います。医学を学んでいますし、ゆくゆくは医者になります。今の私は、将来医療に携わることは不動の事実としたうえで、違う道も経験している感覚というか。2つの人生を味わっているみたいな気分です。でも、その中で学んだことは、将来医療現場で働くときに何らかの形で必ず役に立つものだと信じてますし、どんな医者になるかという将来像を思い描くための新しい羅針盤にもなると思っています。JBAのインターンにはこんなタイプの人もいるんですよ(笑)。この記事を読んで、私たちの仲間が増えると嬉しいなと思います。